コムアミジマについて
コムアミジマについて
コムアミジマは、公設市場の流れを汲むスーパーマーケットです。
京橋・東野田・都島の人々の台所として貢献してきた歴史をご紹介します。
コムアミジマの歴史
戦前に公設市場としてスタート
大阪市の公設市場として創業したのがコムアミジマの始まりです。
創業年は定かではありませんが、1930年(昭和5年)には現在地(都島区東野田町4丁目5番4号)にて「網島公設市場」を運営していたことが伝わっています。
公設市場とは、適正な価格で食料の安定供給を図るために作られた公設の市場のこと。大阪では他県に先駆け大正8年頃から公設市場事業をスタートしており、当時は大阪市の各区に最低1軒の公設市場が存在していました。
当時の網島公設市場は今の敷地に42店舗が出店。これは公設市場の規定で、同業種が複数出店することが求められていたからで、それぞれ3~6坪ほどの店がひしめきあう活況でした。戦前の網島公設市場は非常に活気があり、遠方からも足を伸ばすお客様が多かったと伝え聞いています。
戦後に市場を再開。
昭和30年に建物を再建。
1939年~1945年にかけての第二次世界大戦中に大阪は幾度となく大空襲に見舞われました。網島公設市場も空襲にて被災。戦後は、大阪市民の生活を支える食料配給所として一時期活用されていましたが、復興にともない市場としての姿を取り戻していきました。さらに1955年(昭和30年)12月15日には被災した建物を再建。他の公設市場から網島公設市場に拠点を移して商売を再開した人もいたことが伝わっています。
なお、現在もコムアミジマで惣菜売り場を担当する扇屋食品は、1955年から出店。
現存する売り場(専門店)のなかでも最も歴史のある存在で、現代は3代目が継いでいます。
1993年~現在
民営化してスーパーの形態に
平成に時代が移り、大阪市が公営の商業施設を民営化する方針を打ち出したことから、市内にあった公設市場はそれぞれ民営化の道を辿ることになりました。
網島公設市場も1993年(平成5年)に民営化。名称を「コムアミジマ」に改め、市場形式からセルフ形式のスーパーマーケットへと業態を変更しました。現在のコムアミジマの誕生です。
平成元年頃までは市内に16施設存在していた公設市場ですが、民営化により既存のスーパーマーケットに吸収されるなどして、現在はほとんど残っていない状況です。
コムアミジマは、公設市場の流れを汲む数少ない商業施設のひとつとして、今日まで頑固一徹に、新鮮・お値打ち・正直な商売を心がけてきました。京橋・都島・東野田を中心とする大阪市民の皆様の台所として、安心と生活を支えるのが私たちの使命。これからも、コムアミジマをご愛顧いただき、市場のように活用いただければ嬉しく思います。
組織概要
施設名 | コムアミジマ | |
運営組織 | アミジマ公設事業協同組合 | |
代表理事 | 松下 雅夫 | |
組合企業 | 扇屋食品 / 戎屋 / つるみ水産 / マックフーズ / 合同会社都和食品 / 新町花園北店 / 他 | |
施設名 | 大阪市都島区東野田町4-5-4 | |
施設名 | 10:00~20:30 | |
施設名 | 第1・3日曜日 | |
支払い方法 | 現金、クレジットカード、交通系ICカード |